野田村の歴史・文化
のだの歴史とのだ塩の道

野田村は岩手県沿岸北部にある、人口5,000人弱の小さな村。
村の西側は北上山地に連なり、東には三陸海岸が開けているため、山の幸、海の幸に恵まれた“美味しい”村でもあります。
冬は内陸部に比べて雪が少なく、夏は冷たく湿った北東風“やませ”の影響で冷涼です。
明治以前はこのやませのためにお米等の穀類がとれず、代わりに鉄や木炭、塩の生産が盛んに行われていました。
のだ塩の歴史と塩の道
三陸沿岸にある野田村は、古来より塩の産地として知られていました。
野田村の塩・のだ塩は「直煮(じきに)」という方法で作られます。「直煮」は、大きな鉄釜に海水を汲みいれ、大量の薪を燃やして水分をひたすら蒸発させるという原始的な製塩方法です。
直煮製塩が営々と続いてきた理由としては、当時の野田村近郊が出雲地方に匹敵する日本有数の砂鉄の産地でもあり、海水を煮詰めるための鉄釜の材料が手に入りやすかったこと、山が海岸近くまで迫る地形のため、燃料となる薪が豊富にあったこと、より効率的な塩田法による製塩方法は気候が冷涼で日照時間が少なかったため発達しなかったこと、などがあげられます。
“直煮”製塩は過酷な重労働でしたが、夏には冷たい北東風“やませ”が吹きつのり、米などの穀物に恵まれなかった野田では、塩が貴重な交易資源であり、藩政時代の南部藩にとっては税源となっていました。
塩は人間が生きてゆくうえで絶対に欠かせない栄養素です。長く厳しい東北の冬に備える保存食を作るためにも、海のない南部藩内陸部の人々にとって“野田の塩”は命をつなぐ源でもあったわけです。
こうして、塩を背に積んだ牛「野田ベコ」が険しい北上山地を越え、遠く盛岡や雫石、鹿角地方へと塩を運び、帰路には米、粟、そば、豆などを野田へと持ち帰ってきた歴史があります。
「野田ベコ」とベコを追う牛方たちが数百年という時をかけ通い踏み固めた道は、「ベコの道」「塩の道」と呼ばれ、その一部は現在も往時の面影を残しています。
リンク
- 特定非営利活動法人 野田塩ベコの道
- 野田村のあゆみ ~野田村の歴史をたずねて~
(野田村総務課ホームページ)
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現在では燃料こそ重油を使っていますが、塩の素は昔と変わらぬ海水100%。夏には40℃を超える室温の中、手作業で丁寧に海水から不純物を取り除きます。まさに汗と涙の結晶!
稼動している日には見学もできます(要予約。連絡先:観光物産館ぱあぷるtel 0194-78-4171)
※被災により施設が流失し、ただいま稼働しておりません。H24年1月末に国民宿舎えぼし荘・曲り家隣に再建予定となっております。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。




